「つまりさ、結局はお菓子会社の陰謀によるでっち上げみたいなものなんだよ」
物知り顔でスマイルが肩を竦め、掛けていたエプロンのリボンを腰の後ろで解いて脱ぎ捨てる。
彼の薄い唇から幾つも零れる長ったらしい誰かの名前やどこかの祭りとその由来なんて全く興味が無い。ということを吸血鬼の紅い瞳が語るより雄弁に伝えていた。
「ならば何故、お前は毎年この無意味な行事を繰り返すのだ?」
深紅の目の前に並ぶ皿の上には定番のチョコレート菓子からカカオを練り込んだパスタなど様々な料理が盛り付けられており、それらを見詰める視線はいつになく真剣でどこか楽しげでもある。彼にとってはこちらの方が余程重要なのだ。
「キミの嬉しそうに笑う顔が見たいからだよ。それに折角のイベントを楽しまないなんてもったいないと思わない?」
「模範的解答だな、面白味に欠ける」
満面に笑みを湛えた男へ一瞥もくれず手近にあったオランジェを摘まんだ吸血鬼は、次いで隣のラムボールへ手を伸ばす。口を開いて迎え入れようとした菓子は、しかしその手首を掴んで引き寄せた透明人間の口内へとあっという間に奪われ砕かれ呑みこまれてしまった。
「…貴様、食い物の怨みを甘く見ると痛い目に合うぞ」
「もっと面白い答えをあげようか、ユーリ」
飢えた獣を思わす鋭利な眼光を間近にしたまま悠然と咀嚼を終えたスマイルは、笑みに細めた隻眼で怒りを宿した美しい相貌を見据えた。
「チョコレートって古くは媚薬だったとか催淫効果があるだなんて言われているんだよ。勿論これらは噂の域を出ないものだけれど、カカオに含まれている物質には恋に落ちた時脳内で分泌されるホルモンと同様の働きをするものがあるんだ。つまり、好きな相手をその気にさせるにはもってこいのアイテムってわけ」
唇へ触れるか触れないか、際どい距離で講釈を締め括った男が傍らのザッハトルテを一切れ掴んで齧る。
「…まったく笑えんな」
「だろうね」
眉間のしわをより深くした吸血鬼はスコッチショコラの注がれたグラスを呷った。
「それでもまだ付き合ってくれるんだ」
「料理に罪は無いだろう。それに、見え透いた下心に乗るかどうかは別の話だ」
「それもそうだね、こんな口実なんかなくたってキミはいつでもボクとキスしてくれるものね」
笑んだ男の指より先に吸血鬼の持っていたフォークがフォレノワールへ突き刺さる。けれどそのぐらいで崩れるような笑顔でないことも互いに分かり切っていた。
こうして言い訳と化した2月14日が本当に甘いものとなったのか、それは彼らだけが知っている。
『口実の14日』
10/02/14